R5年八朔まつりでは、地元高校生による祭りの実況中継を行います。
那珂湊高校生徒さんのご協力をいただき、供奉行列の解説をしていただくことになりました。
つきましては、天満宮御祭禮「供奉行列解説」のアナウンス文と解説会場の地図を掲載いたしますので、ぜひ文章にて、祭りの歴史をご参照ください。
本日は、みなと八朔祭り・天満宮御祭禮においでいただき誠にありがとうございます。
まもなく、午後6時の花火を合図に、天満宮御祭禮・神幸(しんこう)行列が出発します。
このアナウンスは、みなと八朔祭り・天満宮御祭禮について、できるだけわかりやすく解説させていただく初めての試みです。
アナウンスの担当は、茨城県立那珂湊高校「 」です。
◎那珂湊天満宮の由来:
原文
『菅原道真公を奉斎した神社で、今から七百余年前の鎌倉時代、海上に種々の奇瑞が現われ、神託を乞うや、道真公の神霊が、この地に降ったとのことであった。時の領主は、北野山満福寺泉蔵院を創建して守護させ、神領として二十五貫文の地を寄せられた。
それ以来、住民の信仰が篤く、南北朝時代の頃には、神前で大般若経の転読が催された記録が見える。神仏混淆の時代には、久しく仏像を安置しておいた。
時が移り江戸時代になると、第二代徳川光圀公は、元禄年中に寺社改革(神仏分離)を行い、家臣東條常言に命じて、菅公の御仏像を造らせ、神宝を添えて遷宮の式を行わせた。また祭礼の式も改め、社職を泉蔵院別当から柏原明神(現在の橿原神宮)の社守鈴木長門に命じた。
爾来、歴代の藩主は、とくに天満宮を尊崇し、祭礼の式は幾度か改められ、数百年を経た現在も伝承されている。
昭和五八年五月
天満宮宮司 井上義 撰文』
(天満宮 大鳥居下の石碑文章)
17:45~
アナウンス文:
那珂湊天満宮は、菅原道真公をお祀りした神社で、今から七百余年前の鎌倉時代、海上に種々のおめでたい兆候が現われ、神様のお告げによれば、道真公の神霊が、この地に降ったとのことでした。
時の領主は、北野山満福寺泉蔵院(きたのさんまんぷくじせんぞういん)を創建して守護させ、神領として二十五貫文の地を寄せられました。
それ以来、住民の信仰が篤く、室町時代には、神前で大般若経(だいはんにゅきょう)の転読が催された記録があります。神仏混淆の時代には、久しく仏像を安置しておいたとのことです。
時が移り江戸時代になると、第二代徳川光圀公は、寺社改革(神仏分離)を行い、家臣に命じて、菅原道真公の御仏像を造らせ、神宝を添えて遷宮の式を行わせました。また祭礼の式も改め、社職を現在の橿原(かしはら)神宮に命じました。
それ以来、歴代の藩主は、とくに天満宮を尊崇し、祭礼の式は幾度か改められ、数百年を経た現在も伝承されています。
◎みなと八朔祭りの由来
元禄8年:1695年、隠居した元水戸藩2代藩主徳川光圀公は、天満宮を訪れ菅原道真公の木像を造らせ、神像を改めます。併せて、その祭礼の諸式を定めました。江戸の日枝(ひえい)神社の山王祭・日光東照宮の祭礼に倣ったものです、本日の供奉行列の構成は、光圀公が定めた諸式を起源とするものです。
なお、八朔祭りの八朔とは、旧暦の8月1日のことです。古来より、稲穂が実のる時期ですが各地でその年の豊作を神様に感謝する催しが行われてきました。また、徳川家にとっては神君徳川家康公が、豊臣秀吉の命により江戸へ入府した日といわれ、特別に重要な日でもありました。
以来、みなと八朔祭りは水戸徳川家が強く関与した祭禮として継承されてきました。
天狗党の乱・明治維新を経て、明治の代になってからは、明治20年:1888年、地元の皆様の総意により、祭礼の大改革が実施されました。この行列の後方に連なる各町役員の衣装:羽織にパナマ帽という装束は、明治中期の当時の正装です。
行列の後半に連なる各町風流物は、江戸時代には、背の高い山車が主流だったとのことですが、大正期には道路に電線が張り巡らされたこともあり、現在のような屋台山車に替わってきたようです。
◎八朔祭りの構成
「天満宮御祭禮」は、「浜下り祭」の形式をとる祭礼です。鎌倉時代に、海の中に何かキラキラ光るものがあり、それを天満宮にお祀りし地元の崇敬を集めたとの言い伝えがあります。
神様は年に一度、神社をお出ましになり、海へお帰りになる。その後、町内を一巡し神社へお戻りになる、それを町内こぞってご案内し、また神社にお迎えする。というのがこの祭礼のストーリーです。京都祇園祭・浅草三社祭など同様のストーリーの祭礼が各地にあります。
神様がお出かけになるのが「神幸祭(しんこうさい)」、お帰りになるのが「還幸祭(かんこうさい)」です。
「天満宮御祭禮」では、天満宮をお出ましになった神様は、「御仮殿」にてお泊りになり、明日午前6時、和田町の海岸で、海にお入りになります。これが「お浜入り」です。那珂湊のお浜入りは、若衆に担がれた神輿が、海中に入り、漁師町・港町である那珂湊らしい手荒い歓待を受けるのですが、これが天満宮御祭禮の見どころのひとつです。
*1日目のみ、二日目は不要
また、明日、午前10時に町内を一巡した御神輿が和田町のお腰掛(御旅所)に戻るのが「お上がり祭儀(おあがりさいぎ)」です。これも見どころのひとつです。
明日、午後2時から、魚市場前の御仮殿にて、「お綱掛けの儀」が行われます。還幸行列用に御神輿を緋綱と鈴・提灯で装飾する古式にのっとる勇壮な神事です。宮元町釈迦町若衆のご奉仕です。ぜひご覧ください。
また、お浜入りに際しては、装飾用の緋綱から実戦用の、「荒縄とさらし」に綱が架け替えられます。和田町のお務めです。
御祭禮は、那珂湊の古くからの18町内が順番に「年番町」として祭礼を執行する年番制をとっています。今年の年番は「泉町」となります。
18:00~
◎供奉行列
① 前駆:
六町目獅子:「ささら」とも呼ばれますが、獅子3体:子獅子・雌獅子・雄獅子で構成されます。神社のお札を金粉と膠(ニカワ)で張り合わせたものであり、本漆(ウルシ)塗です。
祭礼の要所で、振り獅子が演じられます。
起源は、諸説ありますが、江戸時代中期より、天満宮御祭禮の神輿の露払いとして供奉してきた記録があります。
「六町目獅子保存会」の皆様にて継承されています。
なお、この「六町目獅子」と「元町みろく」(もとまちみろく)は、文化庁の「選択民族芸能」並びにひたちなか市の「無形民俗文化財」に指定されています。また、本日の巡行においては、県立那珂湊高校の皆さんのご協力を頂いています。
② 纏・金棒・拍子木 :和田町が務めます。
③ 年番町町印:年番泉町です。
④ 手古舞・稚児:年番町泉町の着飾った稚児さん・手古舞の皆さんが続きます。
⑤ 年番町総員: 年番町泉町の皆さんです。
⑥ (白丁):白の装束の皆さんは白丁(はくちょう)と呼ばれは、神様にお仕えする役割です。陸上自衛隊勝田施設学校の皆様のご協力を頂いています。
⑦ 猿田彦大神(さるたひこおおかみ): 年番高張提灯に続いて、御榊(おさかき)に下げられた鼻の高い面は、猿田彦大神です。古来より神様の道案内する役割です。
⑧ 社名旗: 天満宮の社名旗です。
⑨ 御鉾旗(おんほこはた): 御鉾旗です。
⑩ 鉾神職狩衣(ほこしんしょくかりぎぬ):狩衣神職が手にするのは、日月旗(にちげつき)です。
⑪ 太刀神職狩衣(たちしんしょくかりぎぬ):狩衣装束の神職が手にするのは、太刀(たち)です
⑫ 笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき:横笛):「サガリハ」と言われます。能や歌舞伎にも見られますが、貴い方をお迎えするために「妙なる調べ」音楽を奏でます。
第4代藩主宗堯(むねたか)公の命により日光東照宮の祭礼に倣って奏じられるようになったとの記録が残されています。現在は、ご覧のような形で行われています。
⑬ 神職狩衣奉幣(しんしょくかりぎぬほうへい):狩衣装束の神職が手にするのは、奉幣(ほうへい)です。
⑭ 副斎主禰宜正装(ふくさいしゅねぎせいそう):副斎主です
⑮ 御紋高張提灯(ごもんたかはりちょうちん):水戸徳川家の葵の御紋の高張提灯です
⑯ 御神輿:神様がお乗りになるものが御神輿です。「神璽奉遷の儀(しんじほうせんのぎ)」の神事により、天満宮の神様は神輿にお移りになります。
神輿は行列用に緋綱(ひづな)・鈴・提灯等により装飾が施されています。このお綱掛けの儀は、宮元町釈迦町若衆のご奉仕です。
⑰ 宮元町(元町・釈迦町)高張提灯
⑱ 宮司正装:天満宮宮司様です。
⑲ 元町みろく(もとまちみろく):神話にある「天の岩戸(あまのいわと)」に由来するとの伝承があります。3体のみろくの演舞は、お祓いとお神楽・祝詞をあげる神事です。白は「住吉さん」、青は「春日さん」、赤は「鹿島さん」と親しみを込めて呼ばれています。3体のみろくの顔は、いずれもユーモラスですが、これは天岩戸の神話に基づくものです。
古来より「子供踊り」として行われてきたものを、第2代藩主光圀公の頃、祭礼の行列に参加するために風流物として形が整えられ、その後幾度かの改革を経て今日まで伝承されてきました。
現在は、「元町みろく保存会」の皆様により文化庁選定及び市指定の文化財として保存伝承されています。なお、本日の巡行においては、県立那珂湊高校の皆さんのご協力を頂いています。
⑳ 責任役員:各町供奉に先立ち、天満宮・橿原神宮責任役員です。
21 :和田町役員:
22:各町町印:町印(ちょうじるし)を先頭に、各町氏子会役員の供奉です。
23:各町風流物:この後、各町風流物が続きます。今年は、*町内の屋台山車が出場します。
みなと八朔祭りの見どころのひとつです。各町自慢の屋台山車が供奉行列に華(はな)を添えます。
なお、各町屋台山車のお囃子(おはやし)ですが、「おっしゃい」のお囃子が人気で有名ですが、神幸行列時は「四丁目(しちょうめ)」、還幸行列時は「鎌倉」のお囃子となります。
場面ごとのお囃子の違いに注目するのも見どころのひとつです。
各町屋台山車の解説は、八朔祭り実行委員会ホームページにありますのでご確認ください。
なお、「御神輿」・「六町目獅子」・「元町みろく」・各町屋台山車の現在地については。GPSにより位置情報を発信しています。八朔祭り実行委員会ホームページにありますのでご確認ください。
◎ひたちなか市文化財
ひたちなか市においては、現在70件の文化財の指定があります。そのうち天満宮御祭禮関係は、以下の6件です。
記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財(文化庁国選択)
① 那珂湊の獅子とみろく(なかみなとのししとみろく)
ひたちなか市指定文化財
② 天満宮御祭禮(てんまんぐうごさいれい)無形民俗文化財
③ 和太鼓(わだいこ)工芸品:釈迦町屋台山車に搭載
④ 六町目獅子(ろくちょうめしし)無形民俗文化財
⑤ 元町みろく(元町みろく)無形民俗文化財
⑥ 天満宮祭礼屋台囃子(てんまんぐうさいれいやたいばやし)無形民俗文化財
この後は、各町風流物:屋台山車の巡行となります。
各町自慢の屋台山車が、お囃子とともに巡行します。
最後に、ご観覧の皆様にお願いがあります。
① 天候等の急変により、祭礼の予定が変更となる場合があります。スタッフの指示に従ってください。
② 気温が高いですから、充分に水分を補給し、熱中症にご注意願います。
③ ゴミは、各自お持ち帰りください。
最後までお時間の許す限り、みなと八朔祭りをお楽しみください。
このアナウンスは、茨城県立那珂湊高校「 」が担当いたしました。
ありがとうございました。